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pinon-pinon's bed side stories

ドーム・ライフ

ドーム・ライフ_c0002860_1242110.gif

週間予報から傘マークが消えて
かわりにお日様マークがちょこちょこ
冬が少し遠ざかった
風は冷たいけど
きらきらの日射しはうれしいし
海の向こうや山から戻ってきた小鳥で
色づきはじめた梢はにぎやかでつい1時間半くらい
くるくる歩きまわってしまった
港からフェリーが出てゆくところ
白い建物みたいのがフェリー(のおしり)です

gomaistさんblogで山谷の暴動のことから
往時の学生運動家(?)のことが書いてあるのを見て
自分が大学生だった20年くらい前に一時期住んでた
学校の寮のことをふと思い出したせいか
林の中を歩いていると
ふだんはまったく思い出さないのに
つぎつぎその頃のことが蘇ってきた
家賃が浮くからというより
敷地の中にひとかかえもありそうな大きな樹がいっぱいあって
南向きの大きな窓からそれが見えるのがうれしくて
引っ越したようなもんだった
どちらにしてもさまざまな理由で苦学して入寮している
人たちからしたら呑気なもんで当時も今も肩身狭い
4階建ての建物は無駄を極力排した、
鉄筋コンクリート工法超初期の建物なので
よくいえばコルビジュエ風
悪くいえば旧東独の刑務所風(見たことないです、、、ただのイメージ
 窓はうんと大きいけれど)
直線だけでできたいさぎよいすっきりした佇まいも好きだった

で、ですね、わたしはたしか2階に住んでたんですが
4階はいわゆる活動家の人たちのアジトなので
近づいちゃいけないってことで
アジビラが幾重にも壁に貼ってある薄暗い階段をのぼって
おそるおそる見に行ってみたこともあるけど
いつも鉄の防火扉が閉まったままで人気なくひっそりしてた
どうしてそういうことになっているかというと
説明が長くなりそうですが
いわゆる学園闘争の頃から寮の建物と敷地は実質学生に「占拠」されたままで
学校側も勝手に立ち入ることのできないいわばアサイラムだったわけです
寮に入りたいひとは学校じゃなくて寮の委員会に直接申し込む
形骸っちゃ形骸だけどだから一斉捜査の際は
ある朝機動隊が装甲車でじゃーん、と登場して
学校へ行こうとしたら踊り場にひとりずつ配置されていて
建物の入り口から門までの数十メートルも
あのアルミの盾持って両側にずらーっと並んでて
その間を自転車で「行ってきまーす」と見送っていただくわけです
今思えばすごいなー
当時携帯があればまちがいなく撮ってたなー
でもどうやって普通の学生とそうじゃないひとを見分けてたんだろう?
噂に違わず、寮に入ってる人はみんな公安に顔写真撮られて
身元調査されてファイルされてたんだろうか?

ときどき近くを通りかかると「まだあるなー」と見てたけど
今年の春くらいに深夜番組で陣内と藤井が「京都の魔窟探検!」みたいな
感じで訪問してるのをたまたま見た
ぜんぜん変わってなかった
ぶっ壊れ気味の奇抜なひともそりゃいたけど
もちろん大部分はまともなひとたちで
でもだれとも特に親しくならなかった
名前を覚えてるひと、思い出せないひと、
いろんなひとのこともちょっと思い出した

その後何度も引っ越したけど思い返せば
物件探しのポイントは基本、近くに林があるか、
窓辺が緑か、だったんだ。
大学院に入ったのを機にまた別の古い木造の寮にも入るのですが
いつか機会があればまた。。。
長くなっちゃった
装甲車が縦列していた辺りの銀杏並木が
今頃はきれいに色づいてるだろう
by pinon-pinon | 2008-11-01 12:50 | matubara nikki